●天竜美林とは
天竜の造林のはじまりは、文明年間(1469~1487)と言われています。
春野町秋葉神社の境内林として植林された記録が残っているそうです。その後、水窪町山住神社の宮司が熊野より苗木3万本を持ち帰り植林、その後一代で36万本植林したと言われ、これが明治から伐採され、東京市場で名声を博しました。
明治時代に実業家、金原明善(きんぱらめいぜん)が「暴れ天竜」と呼ばれた天竜川の氾濫を契機に、「川を治めるためには上流の山を治める必要がある」との治山・治水の考えから、約700万本を植林して今目の天竜林業の礎を築きました。
金原明善
その後、日本国内初のパルプ工場が春野町に誕生。そして現在は、奈良県吉野、三重県尾鷲と並んで「日本三大人工美林」と呼ばれるようになり、高品質な木材の供給地として知られています。
●60~70年のサイクル
この地区での植林は約60年のサイクルで行われます。木材として十分な大きさになるために、それだけの時間と手間をを必要とするのです。
また、樹齢60~70年くらいになると、CO2の吸収量が少なくなります。このような木を伐採して使用し、新しく苗を植えることで、若い木がどんどんCO2を取り込んでくれる元気な森になるわけです。
雑草や下草を刈り、農産物を間引きする様に、間伐によって良い木を残し、大切に世話をし続けていく、大変に手間のかかる作業です。これを次の世代、またその次の世代へと手入れを受け継いでいくのです。
九州など温暖で肥沃な地域ではもっと早く育ちますが、ここ天竜美林では時間をかけてゆっくり育ちます。それによって目の詰まった粘り強い木が育つのです。
静岡県浜松市天竜区佐久間町の天竜美林
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